「バービー」鑑賞後メモ

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 破壊的、破滅的であることを良しとしている人間は現代においてはもはやパンクでもデストロイでもない、とざっくりと言えばそんなようなことについての文章がele-king紙版の新しいものに掲載されていた。では、一体何がセンセーショナルな表現足り得るのか。グレタ・ガーウィグの新作「バービー」はそれに対しての最も有力な解答のひとつであることは間違いないだろうと、今はそんな気がしている。本編開始直後から「2001年 宇宙の旅」のパロディというコテコテすぎて笑える演出があるのだけれど、それも含めて今作は「新しい時代を切り開く」という気概に溢れている。「ひっくり返る」とか「逆になっている」といった動きやセリフが繰り返し観られるのもそれと無関係ではなかったように思える。

 パロディ的なアヴァンタイトルにおいて「かつて女の子にとって人形遊びとは、赤ん坊の人形を相手に母親を演じることであった」ということが語られ、その後はバービー人形の登場によって人形遊びのスタイルに「革命」が起きたということが文字通りデストロイなアクションと共に描かれる。ひとりの女の子が中にぶん投げた赤ん坊の人形がそのまま「Barbie」のタイトルロゴにすり替わると、我々はそこから一気にバービーワールドに引き込まれる。主演のマーゴット・ロビー演じるバービー(というか他の女性もほぼ全員名前はバービー)のおはようからおやすみまでの流れを描くことでバービーワールドがどのような世界か、そしてこの作品がどのようなトーンと共に進行していくのかということが提示されるのだが、これが本当に極端に人形遊び的で楽園的な造形になっているのでぶっ飛ばされる。「ハイ、バービー!」とバービー同士がひたすら笑顔で挨拶を交わしまくっていたり、紙パックからコップに牛乳を注ぐ時にはごっこ遊びさながらに「注ぐフリ」と「飲んでいるフリ」で飲み物を摂取したことになっていたりする。「人形で遊ぶときにわざわざ階段を降りたりしないよね?」とナレーションが入った直後にバービーが宙を舞いながら自宅の二階から通りへと舞い降りる描写があったりと、とにかく振り切っている。

 そんな「ユートピア」に暮らしながら、「私たちバービーはすべての女性たちの地位向上に貢献している」と信じていたマーゴットはある日、夜のダンス・パーティのシークエンスにおいてふと「死」について考え、そのことを口にしてしまう。一瞬凍りついたその場の空気をなんとかテキトーな冗談で言いくるめてやり過ごすものの、一度彼女の中で芽生えたその思いは消えるがなかった。その後、「変てこバービー」からの「人間界であなたと遊んでいた女の子が考えていることがそのままあなたに影響している」という助言を得てマーゴットは人間界に赴き、実際にその人物に会うために旅をすることになる。当初は一人で行く予定だったが、車を運転しているところで後部座席にライアン・ゴズリング演じるケンが勝手に乗り込んでいたことに気づく。「バービーと一緒にいる」ということにしか自分の存在価値を見出せないでいるライアンにとってはいわゆる「自分探し」のような旅路になるのだが、これがまたドイヒーな方向に行くので面白い。

 人間界に到着したバービーとケンはその派手な見た目を秒でからかわれ、金銭の支払いという感覚もないふたりは勝手に売り物の衣服を着て出かけようとしてしまったりなんなりで数分の間に2回くらい逮捕される。その後、なんやかんやで落ち着いた彼らは当初の目的を思い出し、それを達成するために行動し始める。そのときにマーゴットはまず何をするべきかを「考える」ことを始めるのだが、そのときにかつて自分がとある少女に遊んでもらっていたことを思い出して涙を流すと同時に、人間界にはあまりにたくさんの人間の存在とそれぞれが抱える感情の起伏が入り乱れている様子を目の当たりにもする。自分が涙を流していることやそういった人間界の状況に戸惑い始めたところでふと、近くのベンチに腰掛けていた老婆の存在に気づく。マーゴットは彼女と目が合うと「綺麗ね」と呟いて、それに対して老婆が「知ってるよ」と返す。個人的にここは最も感動的なシークエンスのひとつであったし、マーゴットがその老婆を綺麗だと思ったことはその後の展開や彼女のアクションともきちんとロジカルに筋が通っていたりもする。もう少し詳しく書くと、要は彼女がなぜバービーとしてこの世界に生を受けたのかということに直接繋がっているのであり、それによってラストに登場するとある人物とのやりとりも非常に胸に響くものとなっている。これは「親離れ」を描いてきたグレタ・ガーウィグの作品としてもより広い射程を持つものに発展していて素晴らしいと思った。

 とまあ、とにかく女性をエンパワーメントするフェミニズム映画としての性質を多分に、というか過剰なレベルで盛り盛りにして尚且つ誰でも楽しめる映画という「完全映画」みたいな作品ではあるのだが、これを書いている自分自身は男であるので非常に身につまされる部分があるのも事実だ。とはいうものの、ライアン・ゴズリングがダンス・パーティで妙にキレのいいダンスを披露している様子や、人間界において「男社会」という概念に感化されてバービーワールドでまさかの「男社会リバイバル(?)」みたいなことを成し遂げようと奮闘するところはドイヒーながらも本当に可笑しくて最高だったけれど(個人的には2回くらいあった字幕の「なぬ?」という訳し方が妙にツボだった)。

 まるで全てが逆にひっくり返ってしまったかのようなバービーの世界。それはまさしくこの現代の世界を表すアナロジーとしても機能している。この作品のケン(たち)は可笑しさという点においては最高だけれど、昔の武富士CM(覚えているひといるのか?)みたいなダンスをキレキレに踊りまくる彼らは果たしてパンクなのか?ただただ単純に世界をデストロイすることは、生産的な行為なのか?それらに対しての答えはこの作品のなかできちんと描かれているし、それを経たマーゴットのラストの行動はアヴァンタイトルともきっちり対を成している。ウィットに富んだ感性と語り口、それらの点においてこの作品はズバ抜けていた。そういうことなのかなと思う。