「AIR/エア」鑑賞後メモ

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 劇場内の明かりが全て落とされてしばらくすると、何かが聞こえてくる。これは音楽だ。Dire Straitsの”Money For Nothing”という曲のイントロ部分、ゆっくりとシンセの音がボリュームを上昇させてピークまで達したところでフッとその音が途切れそれと同時にギターリフが鳴り響き、80年代のポップカルチャーを彩った映画や音楽等、様々な「商品」に関する映像が映し出される。「AIR/エア」の舞台は1984年、NBAにおいて最も使用されているバスケットシューズのブランドがCONVERSEであった時代の話だ。ベン・アフレックが監督と制作、それから演者としてクレジットされていて、マット・デイモンも主演に加えて制作にも絡んでいる。この組み合わせは最近では「最後の決闘裁判」でも見られたが、この作品を数年前に劇場に観に行ったときは電車を乗り間違えて序盤の10分くらいを見逃した。今回は無事に最初から観ることが出来たが何故か中盤に差し掛かったところで腹痛に襲われて数分間ではあったがタフな瞬間があった。

 さて、話を戻そう。この作品のオープニングにおいて主人公であるソニーマット・デイモン)がカジノで賭けに興じる様子が描かれるが、今作の主軸となる物語はまさに彼がひとつの賭けに出るという内容になっている。1984年、NIKEのバスケ部門は業界で半分以上のシェアを占めていたCONVERSEやそれに次ぐADIDASと比べると強みに欠けており、しかも当時はまだ無名のマイケル•ジョーダンから名指しで嫌われていたほどだった。しかし、それでもジョーダンがプレイしている過去の試合映像を見返すうちにソニーは彼の才能の片鱗をそこに垣間見る。それと同時にテレビに映し出されていたのはとあるテニス選手が自身のオリジナルモデルのラケットを宣伝しているコマーシャルで、ソニーはそこからマイケル・ジョーダンモデルのシューズを開発し彼との契約にこぎ着けることでNIKEの業界におけるシェアを拡大していくプランを閃く。

 だが、そう簡単にソニーの案に対して上層部からゴーサインが出るわけでもない。そもそも前述したようにジョーダンはまだ無名の選手であり、しかも当時の彼はアディダス製品を好んでいた。もちろん予算も限られているわけで、その案は呆気なく却下される。ベン・アフレック演じるNIKEのCEOであるフィル・ナイトのエセ東洋思想的な格言(?)も非常に印象的なシークエンスだ。しかし、それでもソニーはバスケットボールフリークとしての自身の感覚に嘘はつけず、仕事仲間からのささやかなエールのようなものも受けながらジョーダンの母親であるデロリス(ヴィオラ・デイヴィス)の元へとアポなしで乗り込み直談判を試みる。この場面において描かれる、相手の心に物語を植え付けようとするようなソニーの語り口はこの作品の根幹にある思想を表すアクションとしてとても象徴的であるように思えた。人間の心を動かす(というか揺さぶってしまう)のは結局のところ欲望を激しく焚き付けるような、いかがわしい物語でしかないだろう(そしてこれはまさに「最後の決闘裁判」的でもある)。

 そんな、ある種のイヤらしさを多分に含んだ今作はしかしあくまで80年代的ともいえる快活な「フィールグッド・ムービー」としての風合いをまとっている。批判的な視点を大いに組み込みながらもスカッと笑えて楽しめるのだ。劇中で何度か映される、ソーダやコーヒーがまるで天から降るショウベンかのように品無くカップに注がれるショット、そして劇伴として今作を「華やか」に彩る80年代の楽曲群もこの作品のそういったいかがわしさを孕んだ消耗品としての側面を端的に表していたように思えた。

 終盤におけるNIKE本社の会議室でソニーやフィルらが実際にジョーダン一家と対面で向き合う場面やその後の展開などからはこの作品におけるショービジネスの構造を浮き彫りにしていくようなレイヤーもはっきりと浮き上がってくる。これは今作のバスケットボールやそのシューズというモチーフに限らず、映画や音楽といった方面においてアーティストが直面することになる問題としても見ることが可能になっているように思えた。何もない場所に強いパワーを持った物語が生まれるとき、そこにおいては人間の法律や倫理に基づいた「正しさ」が度外視されていくような事態が往々にして起こりうる(あるいは自身の「正しさ」のために他者の「正しさ」を度外視しているとも)。そういった危うさをエア・ジョーダンのデザインが生まれた由来とともに提示している。

 本質的には何もない。あるのは物語という空気/AIRのように目に見えないものだ。それを追い求める欲望や執着が人間を「高み」につれていく。そこには何もない。Money For Nothingであり、金は物語のために消費され続ける。それでもクライマックスで流れる”Time After Time”の調べはとても優しくて甘い響きだ。まるで大量の砂糖のように。その心地よさを否定することは難しく、そしていつまでも忘れられないだろう。終わり際の場面においてジョギングを3秒くらいで諦める、腹が出たソニーの姿が象徴的だ。