「わたしは最悪。」鑑賞後メモ

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・断念を後退的、否定的な行為でなく、自分の人生を前に押し進めるためのひとつの選択肢にもなり得るものとして描いている。断念することで自分にとって本当に大切なものを少しずつ知る。誰かから貴重な教えを授かったり、喜びを知ったり。なにが自分の視野を広げてくれるかは、自分にしかわからない。間違えなければ自分なりの正しさを理解できない。

・主人公のユリアは物語のなかで退屈、予感、断念の流れを繰り返しているように感じた。本編最初の建物の屋上でのショットはユリアの退屈さ、憂鬱さを、物語中盤の路上にて遠くに輝く朝日や夕日を見つめるショットは期待や予感を、そして終盤の「シャワー」の場面は断念を、といった具合に象徴的に表している。また、それぞれの場面で主人公は高さや階層が異なる場所に立っており、それがユリアの心情の現在地を示すような働きをしている。

・「最悪なわたし」が他人のためにできる利他行為の端的な象徴として「君は最高だよ」というある人物の台詞があったのだと思う。ユリアの断念と対になる感情になっている。

マジックマッシュルームでユリアがトリップする場面において、彼女が父親(あれは継父?)に対して複雑な感情を抱く理由や女性として生きるうえで不安に考えていることが端的に示されている。パーティの場面において母親が子供に対してどう接するべきかということに関してユリアが言及する場面があるが、なぜその点に彼女が強い関心や反応を示したのかということの裏付けにもなっている。

そういった不安な思いの数々と対になるポジティブな感情として、上述したように朝日や夕日が象徴する期待や予感の感情があるのだと思う。ちなみに、この陽性の感情をユリアが感じているとき、劇伴ではシンセの瑞々しい雰囲気のフレーズが流れ出す。これが物語の後半になると感情の変化に伴い質感が変わっていた。

・パーティに紛れ込んだユリアが初めてアイヴィンに出会う場面。パーティ会場での通路脇やクロークルームとして使われている寝室でのやりとりがとても印象的だった。誰かに見られてしまうかもしれないというスリルのなかで、「いや、これは浮気じゃないから」みたいなカンジでしれっとあれやこれややってるの、すげーしょうもないけれど見ていてドキドキするし楽しい場面だった。ふたりの感情や関係性が大きく揺らいでいくのを見せる演出としてもすごい上手かったと思う。