「リコリス・ピザ」鑑賞後メモ

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・偶然性と勘違いと奇跡。くっついたり離れたりを繰り返しながら大切な気持ちに少しずつ近づいていく。そのために必要な速さには自動車や自転車では到達できないけれど、彼らは自分の足で走って迎えにいくことが出来る。shitにまみれた輝きと軽やかさをいつまでも愛している。

・かっちりとした物語の筋があるわけではなく、そこにはゆったりとした70年代の時間の流れと空間が広がる。90年代生まれの俺からすると70年代はDUNEくらい遠いカンジのものにも思えるが、きっとああいう瞬間がいくつも折り重なってひとつの時代を形成していたのだろうなとか、ぼんやりとした感慨を抱きながら鑑賞した。

134分の上映時間が少しだけ長く感じたような気がしたのは、もしかしたら俺の体が2022年型で意識との不整合を起こしたのかもしれない。普段ダラダラ過ごしているつもりの俺ですら、もしかしたら何かに急かされている?

73年のハリウッド近郊、サンフェルナンド・バレーの景色が目の前に広がっているのにもう触れることはできない。だけど、まだ俺なら走って誰かやなにかを迎えにいくことくらいはできるのかな?そんなことを考えたり考えなかったりしながら小田急線の電車に揺られてクソ暑いなか家路につく。各駅停車に乗り換えようとしたら、少し手前の駅で体調を悪くした人がいたみたいで5分くらい電車が遅れた。たった5分の遅れで謝罪のアナウンスが繰り返し駅のホームにこだまする。まあ、その勤勉さにいつも支えられて過ごしている訳なのだけど。

・正直、こういう作品についてガッツリ語れるほど70年代のアメリカンカルチャーに精通していないので、「面白かった」とか「タランティーノのワンアポよりも露悪的なカンジはなくて、かといってオシャレすぎる訳でもなくかっこいいバランスに仕上がってる。むしろそれが欠点か?もうそれくらいかな?」くらいのことしか言えることはない。とにかくこれは家でダラダラ寝っ転がったりしながら何度も繰り返し観たい。家屋の一部をぶっ壊したあとでガソリンのタンクを片手に持ちながら女の子を口説くブラッドリークーパーの背中がただ情けないだけでなくてなんともいえない哀愁を漂わせてもいて、なんだか忘れられない。ああ、カラダが勝手に