プロミシング・ヤング・ウーマン

「プロミシング・ヤング・ウーマン」を観た。

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冒頭から流れ出すCharli XCXのBoys、そしてぶん投げられてくるようなキッチュなテンションのタイトルバックでこの作品が持つ強烈に露悪的かつキュートでハイパーなテンションを端的に示してくる。

個人的にこのタイトルバック前後の流れはとても興奮した。こんなテンションを宿した作品は今まで観たことがない気がする。これが2020年代の最新系のひとつであることは間違いないと思う。

劇中で大胆にジャンルを横断するようなことすら、何度もある。これは主人公の情緒不安定さともリンクしている。

劇伴の使い方も普通じゃないところがあるというか、割とベタな雰囲気の曲で無理やりテンションを持ち上げるような使い方をしているところがあって、なんか強烈。

 

主人公であるキャシーが冒頭のバーなどであのような行動を繰り返すようになったのには、とある事件が関係していることは映画を見ているうちに示されるのだが、その行動の意味自体に関してはそこまで具体的に言及されずに終わっているように思える。もちろんこれは、意図的に残された余白であると思う。

ではそこにはどのような意味があったのだろうか。

キャシーにとってあの行動は、親友の怒りや悲しみを代弁するという意味合いと共に、彼女の親友の過去を「追体験」しようとする意味合いも含んでいたのではないだろうかと個人的に思っている。

過去の事件に関して誰よりも負い目を意識し続けてしまったのはキャシーであるだろうし、彼女こそがその過去に最も苦しめられていたであろうからだ。

キャシーの心の中で完全に時の流れが止まってしまっている部分があるのは明らかで、その地獄からなんとか這い出すために、彼女は例の行動をある種セルフセラピー的な意味合いと共にとるようにもなっていったのではないだろうか。親友と同じ苦しみに近いものを感じようとすることで、贖罪を果たそうともしていたのではと考えてしまう。

 

この作品が内包するテーマには、ここ最近のオリンピック開会式にまつわるゴタゴタや、「竜とそばかすの姫」の内容とも通ずるものがある。かなりこわい。

具体的なことは書かない。というか書かなくても、観ればそれは多分わかる。ひとの心の弱い部分に、猛毒ジャックイン。