ハウス・オブ・グッチ

リドリースコット監督の最新作「ハウス・オブ・グッチ」を観た。

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この作品は「誇張しすぎた『思い、思われ、ふり、ふられ』」だ。

ほとんどの人間が「他人をケアする」精神を発揮することをせずエゴイスティックに突き進んでいく。そしてぶっ壊れる。シューッ。

しかしその中でレディーガガ演じる主人公のパトリツィアは、メタ的な視点でパワーゲームを牛耳ろうとする心とマウリツィオへの素直な愛情との間で常に揺らいでいる。それは物語が進むにつれて振り幅も大きくなる。

彼女の中ではおそらくそのどちらの気持ちも同じひとつの良心から出てきているものなのだと個人的には解釈している。白黒はっきりしているのではなく、混ざり合っている。

 

パトリツィアの揺らぎはやがて大きくなり操縦が効かなくなる。

最初から全てが詰んでいた、この新たなリドリースコット流不条理劇もまた結末に向かっていく。

エンドロールが流れる頃には「ハウス・オブ・グッチ」というタイトルがいくつかの異なった意味合いを持つことにも少し切なくなる。

 

全ての過剰な欲望、大胆な演出や大ネタポップソングの連発は最高にいかがわしくて色気に溢れている。

「正しさ」に上手く嵌まれるほど人間はよく出来ていない。常に欲望や強迫観念に駆られ、それらが決して止まることはない地獄のようなシステムに乗っかって生きているのだから。

だがそこに生じる感情や心の揺らぎのなかには他人への愛情や良心、思いやりも含まれているはずで、それはとても尊いことだと思いたい。

この160分の体験なしに、人生に酔いしれることはなかなか難しい。