空白

吉田恵輔監督の「空白」を観た。

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人間の心の中で壊れた時計の針を動かすものはなんだろうか。

他人を許し、ケアしようと努めること。そのスタート地点に立つまでの間に長く広がる「空白」を真っ直ぐに見つめる勇気をすぐに持てる人間は、きっとほとんどいないだろう。

とてつもない悲劇や衝撃は人の心に流れる時間を止めてしまう。

一度受けた傷が消えることはなく、それまでとはまるで世界の見え方が変わってしまう。そのことに戸惑い、悲しみ、怒り、彷徨う。

 

音楽を評価する基準として、「いい音楽」と「悪い音楽」のどちらかしかないという言い回しは有名だ。

だが人間を評価する時にも同じようなことが当てはまるだろうか。答えは否だ。

誰もがグレーゾーンを抱えて生きている。しかしジェントリフィケーションが進む社会に生きる中で、我々は心までも型に嵌められてしまいそうになっている。

 

起きてしまった過失に対して、法廷とは関係ないところで素人が善悪の概念を持ち込むことは非常に危険なことだ。

正論としての断罪や無神経な批判、どちらも人を社会的に、結果的には物理的な死に至らしめる程の力がある。

この作品が、かなりエグめのグレーさを残したまま迎えるラストシーンを観ながら思わず連想してしまったのは昨年の小山田圭吾氏に関する問題だった。

物語全体を通してもそうだが、特にこのラストシーンは観客自身の倫理観に対しても強く揺さぶりをかけてくるものだと個人的に感じた。それでも、そのグレーさを真っ直ぐに見つめることが出来るかどうか、厳しく試される瞬間だ。

 

罪や過失というものに当時者でないものが不用意に関わるべきではない。

一度放ってしまった言葉や怒りは消えることなく、他人に伝染していく。

もし外側の人間が関わるべき場面があるとすれば、それはきっと加害者や被害者をケアしようと努める場合であって、当事者が現実を少しずつ受け入れる過程を支えていく行為こそが尊いはずなのだろう。

果てしない後悔をようやく真っ直ぐ見つめることが出来たとき、その「空白」が照らし出す未来を感じられるのかもしれない。