日系オーストラリア人の監督・脚本家ナタリー・エリカ・ジェームズの長編デビュー作である「レリック」を観た。
作品冒頭、暗闇の中で心臓の鼓動のような間隔で明滅を繰り返す光は、誰にも見つけられることなくそこで永遠に息づく「なにか」を思わせる。
と、その直後、左右対称のグラフィカルな画面構成を基調としながら浴槽を映し出すことでこの作品がただのジャンルムービーではなくある程度の様式美を纏ったホラー映画の系譜に連なるものであろうことを示すと同時に、やがて人間のある狂気的な側面を見ることになるであろう予感をも匂わせる。
それだけではない。
細やかに調整が施された音響もこの作品においては大事な要素である。本編中では渇いた樹皮が剥がされていくような不可思議な音が何度も繰り返し聞こえてくる。
持続的な緊張感、不穏さはしかし程よいレベルに抑えられており、観やすさもきっちり担保されている。
ホラー映画というよりは、ホラーを基調とした「親子の物語」というのが正しいように思える。
派手なことは終盤以外はほとんど起こらない。
だが、その「何も起こらなさ」というのを不気味なものとして演出する手腕に長けている。
そのひとつのキーとなっているのが先述の細やかな音響であるのは間違いないように思える。
「なにも起こらなさ」に対して観る側は神経が過敏になっていく。
「なにか」がいるのではないだろうか、という感覚を植え付けられてしまう。
その恐怖は作品に登場する老女の感じているそれともリンクしている。
基本的にはリアリズムに徹したようなテンションで物語が進行していくのだが、終盤にフィクショナルな方向への飛躍がある。
そこでの演出にはJホラーからの引用があり、出口のない怨嗟の連なりを鮮やかに描き出していく。簡単にいうと、観ていてテンションが上がる。
意味をなさなくなってしまって遺棄したいくつもの老女の歴史は幾重にも折り重なる層を形成し、始まりと終わりを見失う。
風景画のような印象的な「窓」は、誰もいない景色を見つめる老人(たち)の果てしない孤独の象徴であるのかもしれない。
ささくれだって乾き切ったその表皮を、いくつもの層を成すそれを削ぎ落とすこと、見つめることによって、深い闇の底に眠る優しさは再びやわらかな空気に触れる。
とても丁寧な手つきで作られた映画であるな、というのが個人的な印象。
少し地味かもしれないが、あるテーマに向かって全ての要素がやがてひとつにまとまっていく様が美しい。
これが長編デビュー作ということで、これからますます期待されることは確かだろう。自身が連なる系譜を示しつつ、影響源や過去作へのリスペクトも忘れない。音響を駆使した恐怖演出と劇伴の音楽も出色の出来であり、見事であると思う。
「ヘレディタリー」以降のホラーとしての、新たな良作。