共有しえない夏の幻

フランソワ・オゾン監督の最新作である「Summer of 85」を観た。

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人は死ぬまでに何度も広い海の上で「転覆」を繰り返す。

その時に通りかかる船は「出会い」であり、透き通った海水で濡れた身体の中で心が彩りの美しさを知る。

それは唐突な寓話として記憶のいちばん深いところに、さりげなく、しかしなによりも力強く刻まれることすらある。

かつて凄惨な争いが繰り広げられた海沿いの1985年の夏はしかし、「君の物語じゃない」のだ。

作品の冒頭からThe Cureの「In Between Days」が流れ出す。しかしここではまだその音楽に「言葉」は乗っていない。

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それはまだ主人公のアレックスがなにも知らないからであり、やがて迎える展開を仄かに暗示してもいる。

 

中盤のクラブでのダンスシーンがこの映画のコアになっていると、パンフレットに記載されたインタビュー内で監督は語っている。

なんだか正体のよく分からないボヤけた感情のままに心地よいフロアで揺れていると、不意にダヴィドがアレックスの頭にヘッドフォンをかける。その象徴的なアクションと同時にRod Stewartの「Sailing」が流れ始める。

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心は海を渡っていく。広い海の向こうの、懐かしい場所に向かって。

心は呼びかける。はるか遠い場所に向かって。

そして若者たちは転覆を繰り返しては海に振り落とされ、何度でも出会いを繰り返す。

 

この作品の全体的なトーンはあまり重いものになっていない。むしろ軽快さが際立つ。

印象的に引用されるThe CureとRod Stewartの楽曲はいわゆる大ネタであるだろうし、劇中で起こる出来事をそれぞれ重く描くようなことはしていない。

これは要するに、この物語の語り部でもあるアレックス本人にしかそれぞれの出来事の重大さは分かりえないものであるということを示すためのものであり、これによって観る側の軽やかさと心地よさは生じるのではないだろうかと個人的に考えている。

決して誰にも共有することは出来ない、自分だけが見ることを許された「幻」についての物語である。

だからこそこの物語は「君の物語じゃない」のだ。