「バティモン5 望まれざる者」鑑賞後メモ

youtu.be

 かつて貧しい市民たちがその手で封建的な体制を打ち崩した革命の歴史を持つフランスの現状にはどのような側面があるのか、この作品によって非常に繊細に描出されている。パリ郊外の一画における行政と市民の対立の構図は、まず端的に旧世紀の封建的社会に逆戻りしているかのような印象を強く我々に抱かせるが、武装しているのは常に行政側の特殊部隊の人間たちだけであり、バティモン5と呼ばれる主に移民系の貧しい人々が多く暮らす地域の人々は今まで通りの暮らしを求めようとするだけでも手錠をかけられ、物理的な被害を被り続ける。これはむしろ行政側の市長であるピエールを中心とした、「パリをクリーンにするための革命」であるように見えてくる。

 主人公のアビーらを中心として描かれるバティモン5の住民たちが行う行動には、革命というよりは共生という印象が伴う。アビーは移民の人たちの暮らしや労働に関する相談に乗るケアスタッフとして日々働いており、常に当事者と顔を付き合わせて対話を行なっている様子が繰り返し描かれる。さらにそれは議会におけるピエールの事務的、独断的な政治的判断を行う姿と対になるものとして提示される。基本的には二項対立の構図ではあるものの、ピエールにも妻やシリアからの難民として彼らの家で暮らす人たちとの大切な関係性があるという事実は丁寧に描かれており、図式的なキャラクター設定というところは回避させているように感じられた。なぜそのような演出が組まれるのかいうところに関しては、やはりピエールのような人物であっても対話の余地はあり、誠実で相互性のあるやり取りを試みる価値は充分にあるはずだという強い思いが込められているのではないだろうか。アビーの恋人でもあるブラズという登場人物と彼が辿る顛末は、若者が政治的な対話を関係者らと行うような、政治参加の機会にそもそも恵まれていないこと、怒りを正しい形で発露させることが出来る場所が「浄化」され、消えかけていることに対しての作り手側からの問題提起であるというふうにも受け止められる。

 後半における、団地からの強制的な退去が描かれるシークエンスにとても印象的な描写がひとつある。少女がお気に入りの人形を部屋に置いてきてしまい悲しみに暮れる中で、おそらくはその子の兄と思しき少年がこっそり団地の部屋に駆け戻ってそれをとってくる様子がさりげなく差し込まれるのだけれど、これによって社会的、経済的価値観とはまた別個の、その人自身にとって大切なものや価値観をどれだけ汲み取ってやれるかが「誠実さ」という感覚につながるのではないかということをアクションだけで端的に提示しているようで、すごく短いけれど胸を打つものがある。その女の子が大事にしていた人形というのが、チラッとだけ映されるのだけどおそらくはユニコーンを模ったような造形になっているところなど、作り手側のきめ細やかさを感じさせる。