「マッドマックス:フュリオサ」鑑賞後メモ

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 この作品を観終わって新宿の街に出てみると、身体の平衡感覚が若干狂ってるように感じられたというか、いつもと違う世界に見えた。物体が動くスピード感とかが完全に作品のレベルに持ってかれたせいで道路上を走行する自動車とかを見てもなんだか気の抜けた感じがするような、妙な気持ちになった。ラッパーのjinmenusagiも言っていたように東京の道は狭いし公共交通機関もあるのでそこまで自動車にこだわる必要性もないのだけれど、道端に止まっている車を見て「これがあればしばらくは移動出来そうだな」みたいな変なことを考え始めてしまったり、など。

 とまあ、いきなり余談から始めてしまったが、そもそも今更この「マッドマックス:フュリオサ」に関して言葉で語るのも少し野暮ったく感じられてしまう。

 とりあえず個人的に印象的だったのは、人やモノの動きがグッと止まる瞬間にエモーションの高まりがピークを迎えるようなショットが何度もあり、そのどれもが神がかり的な恍惚感に満ち溢れていたこと。赤い煙幕弾が地面に炸裂した後、その煙を身に纏いながら恍惚の笑みを浮かべるディメンタス(クリス・ヘムズワース)であったり、終盤の方でフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)が弾薬の製造場(名前を忘れた)を一度去ろうと車のアクセルを踏み前進するも、途中で思いとどまりブレーキを踏み込む瞬間の、まるで空気が一点に凝縮され爆発するかのような強烈なインパクトは他の作品では味わうことはなかなかないであろうと思われる。基本的には常に自動車やバイク、人やものがものすごい速さで動き続けているような作品だからこそ、止まる瞬間にスピード感の差異によるダイナミクスが生じるのだろうけれど、ジョージ・ミラーはそれを限界まで高めてから炸裂させる手腕が半端ではないように思われる。物語が進行するペース自体は割とゆったりしているようにも思えるが、先述したようなショットが配置されていることにより観客側のエモーションも徐々に高まっていくような、いや、高まるというよりはドロドロとしたマッドな沼にズブズブと嵌りこんでいくような異様な危うさが担保されている。

 タイトルにマッド、さらにはマックスまでついているくらいなので本当に言葉よりも狂ったアクション一発でエモーションをぶちまけまくっているシークエンスのつるべ打ちと言ってもいいくらいだろう。その中で重要な場面を除いて何故かひとつ忘れられないのは、中盤あたりで車の改造部品として使用するためのショベルカーのアーマー(?)をウォー・ボーイズやフュリオサらが必死こいてワイヤーにぶら下がったりしながら回収するところで、よく考えたら本編中においてはなんでもない方の場面に入るのかもしれないけれど妙な熱量のカメラワークやアクションで描かれていて、なんとなくそれだけでも、この作品を信頼出来ると思えた。