「チャレンジャーズ」鑑賞後メモ

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 「興奮」は英語で”excitement”なので、この「チャレンジャーズ」という作品に関しては”This is about the excitement”と言えるだろう。冒頭、メインの登場人物たちであるアート(マイク・フェイスト)とパトリック(ジョシュ・オコナー)らによるテニスの試合の展開に合わせてトレント・レズナーアッティカス・ロスによる劇伴”challengers”が流れ出すと、否応なしに興奮させられ、今作の通奏低音となるトーンを瞬時に理解させられるようでもあった。興奮や欲望という感情に対して嘘はつかずに、真っ直ぐ飛び込んでいく。その動き自体は非常に単純明快なのだけれど、それがアート、パトリック、そしてタシ・ダンカン(ゼンデイヤ)の3人で絡み合うことでかなりごちゃごちゃな様相を呈し始める。右に、左に、それはテニスゲームの展開の如く目まぐるしく目線が動き続けていき、社会一般的には存在するような一線をいとも簡単に横断してしまう。ヤるか、ヤらないか、もしくはヤったかでそれそれの感情が一瞬で沸点まで到達する。そのたびに流れ出すのは、トレントアッティカスによる、硬質であると同時にセクシーな弾力性をも兼ね備えたミニマルなビートだ。

 今作を手がけたルカ・グァダニーノによるドラマシリーズ「僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE」においても描かれた、社会的な利害関係を超えた愛のあり方(とでも言えようか)の延長線上に今作は置かれているように思えるが、より刺激的でシンプルな、何より(いい意味で)本当にくだらない方向に振り切っている抜けの良さがある。序盤は時系列が行ったり来たりで、割とのんびり物語が進行していくように感じられたが、単に右往左往してはキスやテニスばかりしているだけの状態にはならず、そこにきちんと毎回異なる情感が立ち上るようにスッとレイヤーが(窓から差す光のように)差し込まれてくるような構成が成されているところに、個人的には唸らされた。シンプルに上手い。それでいて、力の抜けた余裕すら感じさせるあたりにはルカ・グァダニーノというひとの天才的な風格が漂っている。

 今作はラストの展開において、現代の社会的なあらゆるボーダーを一瞬で飛び越えるような最高の愛を提示してみせる。観ていて思わず叫び出したくなる映画というのが稀にあるけれど、ええ、そのようになっております。