YC2.5/Kamui

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 解けては結ばれ、やがてまた解けていく。再び巡り合う喜びと離ればなれになる悲しみのサイクル。テッド・チャンの「息吹」も同じような構造を持つSF小説ではあったが、Kamuiの「YC2.5」はサイバーパンクアルバムだ。

 発展した技術と引き換えに生まれた極端な格差社会やそれに伴う治安の悪化、そして情報過多なメディアと電子広告の洪水に人々が飲み込まれていく退廃的な未来のヴィジョン、それがサイバーパンクだと個人的に考えている(未来というか、もはや現代の話と言ってもいいだろう)。

 なぜラッパーであるKamuiがサイバーパンクという言葉にこだわるのか。おそらく彼にとってそれは必要な表現形態であるからだろうと思われる。

「ヤンデルシティ」という架空のディストピアが現代の東京と重なるように描かれているので単純に現代社会批評のような視点で読み解くこともできるとは思うが、さらにこれはKamuiの精神構造のメタファーとして見ることも出来るので実は二重、三重にレイヤーがあるのは何度か聴いていくうちに気づくことができる。

 Kamuiは街であり、人である。もちろんこの作品を聴く我々も人であるから、自分自身の存在もここに重ねることができる。「ヤンデルシティ」はどうやら他人事ではないらしい。

 

 kamui x u..名義で2016年にリリースされた「Yandel City」のサウンドやリリックが描き出しているのは主に街の情景であったと思う。

Yandel City

Yandel City

  • kamui x u..
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥1833

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 建築物や街の雑踏、さらにはニオイまで感じ取れそうな生々しさがそこにはあった。どうしようもなく鬱屈した空間が茫漠と広がるのをただ眺めているしかないような感覚が詰め込まれているようでもあった。

 しかし続編である今回の「YC2.5」でフォーカスされるのはその街で暮らす住民たちのキャラクターや心情だ。それは前作とは打って変わって色とりどりな印象を我々に与えてくれるし、サイバーパンク的な都市の景観ともリンクする。

 これはKamuiの感情の揺れ動きやその振れ幅を最大限にまで引き伸ばして表現するための仕掛けであるのだと思う。ビートのバリエーションやリリックの語り手のテンションは様々で、ラップだけではなく歌うことも多い。いくつもの表情がそこにはある。

 「login」することで後戻りが効かなくなり、「Tesla X」をtakeすることで感情が「レッドゾーン」まで振り切り、壊れ、分裂していく。そんな状態の中でかつて自分自身の中に息づいていたピュアネスの象徴としてのsuimeeと再び巡り合う。

 「死神は懐かしい友人の顔をしている」というような言い回しを誰かの作品で見かけた記憶があるが、まさしくsuimeeとの巡り合いは喜びであると同時に死の匂いも漂わせている。しかし、何はともあれ後戻りは出来ない。

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 「Runtime Error」によるアルバムの幕開けや「YCB2」の情報過多なリリックなどにも顕著ではあるが、「ヤンデルシティ」に「身を沈め」ていくような感覚をこの作品を通して味わうことが出来る。

 荘子itとの対談においても、「侵入する側や打ち込む側にもビビりとかがある。でも、とにかくぶち込まないといけない」というフレーズが飛び出してくるのだが、これはKamuiの特に今作における最も重要な姿勢のひとつであるのは間違いないと思われる。

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 そう、Kamuiは怯えてもいるのだ。「Tesla X」において最高のブチギレ方をしている彼の裏には「i have」で聴けるような繊細さがある。一見タフな人が自身の繊細さを表現するような作品自体はいくつもあると思うのだけれど、Kamuiの場合のそれは振れ幅があまりにも極端すぎてファッショナブルな域を飛び越えてしまっていると個人的に思っている。まるで若き日のトレント・レズナーをも思わせるような、ちょっと不安になるくらいの脆さをKamuiはときに醸し出している。(今作のジャケット写真は彼のそのバランスをとても上手にキャプチャーできていると思う)

 それでも、その脆さを真正面から見つめるように、Kamuiは彼自身の心のいちばん深いところまで潜っていく。そうすることで彼は作品を生み出しているということなのではないだろうか。

 ビビりながらも「MOTHER DEEPER」に「打ち込む」ことで彼は「疾風」になれる。

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 「YC2.5」を通して聴いていくと最後に「Hello, can you hear me」が聴けるのだけれど、この流れで聴いているとKamuiは「大丈夫」になれたようで相変わらずすぐに壊れてしまいそうな不安定さを抱えてもいる。もしかしたらそもそも彼だけではなく我々もこの先たいして変わることなど出来ないのかもしれない。だからいつかは再びあの街、そう、「ヤンデルシティ」に身を沈めることになるのだろう。すでに何もかも退廃しきっている。だから「サイバー」ではなく「サイバーパンク」なのだ。

 けれどもその繰り返しの中でおそらく数多くの出会いがあって、それは新たな視点や思考を我々に少しずつもたらしてくれるはずだ。

 かつて大事にしていた記憶や感情は、その街で少し俯きながら、今日も静かに誰かを待ち続けている。この場所に思い入れは、あるか?