「ほかげ」鑑賞後メモ

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 言語化するのが難しい深い領域にまで触れるリーチの長さをこの作品は持っている。その領域とはなにか。「暴力が生まれるところ」や「光と闇のあわい」というような表現をするのがわかりやすいだろうかと思う。塚本晋也の新作「ほかげ」は、こういった事柄に対して言及していくことで戦争という概念やそれに伴う構図などが、(特に「戦後」の世界で暮らしている)人間の行動や思想の原理を語る上で避けては通れないものであるのではないかという事実を明るみにすることを試みているように思えた。

 東京大空襲後にかろうじて残った居酒屋(というよりは小規模な定食屋のよう)が物語前半の舞台となるが、このロケーション自体がすでに社会生活と私生活、安らぎと不安の狭間のようなイメージを視覚的に提示してくる。そしてそこで暮らす女性(趣里)もまた、昼間に浅い睡眠を何度も繰り返しながら身体を売ることで日銭を稼ぐといったあまりに過酷で不安定な生き方をしている様子が示される。そんな彼女のもとに戦争孤児の少年(塚尾桜雅)と復員兵の青年(河野宏紀)がやってくるようになることでそうした日々に少しずつ変化が生じ始める。具体的な展開について言及することは避けるが、この前半部のクライマックスにて趣里と少年がシリアスなやりとりをする場面が描かれる。そこにおいて浮かび上がってくるのは過去の記憶に後ろ髪を引かれ続けている大人の趣里と、まるで未来へ向かう時の流れの引力に急かされるように大人になることを要求されるまだ幼い少年という対照的な構図だ。過去と未来の間でそれぞれの記憶と憶測とに引き裂かれ続けること、それは、そもそも全ての人間が胸の内に抱える静かな戦争なのだとここでは語られているように思えた。

 前半の屋内における薄暗い印象から打って変わって後半は少年と森山未來演じる片腕に麻痺を抱えた退役軍人との、とある目的を果たすための旅を描く展開に移り変わっていく。この後半部においては、どういった行動をとることで自分を束縛する記憶と決別するのか(そして、そもそもそれは可能なのか)ということについて語られているような印象を受けた。最後に森山未來が山奥でとる行動と少年が闇市付近の「トンネル」内部で行うこととはその点において対になっている。そして何より終わり際の場面、銃声ひとつで「戦争」を終わらせることの難しさと「ほかげ」というタイトルの意味合いを端的に示す演出には胸を打たれたとともに、作品を鑑賞している自分自身の心もいつしか光と闇のあわい、夕暮れのような場所に佇んでいることを思い知らされた。