「メイ・ディセンバー ゆれる真実」鑑賞後メモ

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 本編が始まって間もないタイミング、本作の中心人物であるグレイシージュリアン・ムーア)が自宅のキッチンにて冷蔵庫を開けた瞬間にスッと不穏なSEが差し込まれたと思いきや彼女が「ホットドッグが無いわ」というセリフを口にする。この演出の物語上における唐突さ、意味のわからなさに最初は面食らって思わず笑ってしまった。けれど、最後まで鑑賞した後で再びこの瞬間を振り返ると、この作品の軸になっているテーマがここで端的に示されていることに気づかされる。要は、何かが欠けていること、理解が及ばない物事が存在していることに対しての不安という感情が、作品内の出来事の起点となっていることが分かりやすくなる。実際、そのシークエンスに限らず、全体を通してかなり特殊な映画になっている。なんというか、「午後ロー」で夏休みシーズンにたまに放送される海外のちょっとエッチな(おそらく80年代後半~90年代前半の)映画のコテコテ感が意図的に組み込まれているように思える。劇伴のサウンドのテクスチャーからショットの画角、少し強くて明るめのライティングなど、一歩間違えたら本当に昔のただのダサい映画と同じになってしまう、そんなスレスレの綱渡りをしているような印象を受けた。ラストショット、とあるアクションを執拗にひたすら反復する神経質なシークエンスと、エンドロールの劇伴の終わりの部分でジャーンと鳴らされる妙に安定感のあるトニックのコードとの対比でより一層この作品をどのように受け止めればいいのか、わからなくなってしまう。終盤でグレイシーが口にする「今はそれなりに安心して暮らせてるのよ(正しいフレーズは失念してしまった)」という台詞など、ひたすら強烈だ。