「その着せ替え人形は恋をする」において印象的だったのは「距離」についての描写で、第二話なんかは長さを計測すること自体が物語になってもいた。なりたいものになろうとすること、わかり合おうとすることは「距離」との闘いなのだということを五条くんや喜多川さんが教えてくれた。エンドロールのアニメーションではふたりが宇宙服を着ていて、どんなに仲が良くても好きであっても完全な理解には追いつけないという厳しさを示すものであったこと、また、そうであっても少しでもその存在に近づこうとするエネルギーの爆発が恋なんじゃないのかと言わんばかりにギュッと寄り添い合うふたりにも毎回勝手にグッときておりました。個人的に何故かアニメのOPやEDをスキップするのは抵抗があって繰り返し見てしまうのでもうふたりのシルエットが脳みそに焼きついて涙が止まりません(?)
「パリ13区」は冒頭から常にカメラが動いているショットがほとんどの割合を占めていて、それはまるで無意識に安らぎの場を求めてそこに接続しようと夜な夜な交わるエミリー(ルーシー・チャン)や高校教師であるカミーユ(マキタ・サンバ)らの心情を反映しているものであったように思える。冒頭から何度もカマし続ける彼らの関係性と後半における30代のノラ(ノエミー・メルラン)とネットにおいてポルノスターのアンバー・スウィート(ジェニー・ベス)のそれとは対になっていて、それはラストにおいてやはり全く違う着地を見せることになる。クローズアップで映し出される受話器のショットからは男性性に対してどうしても埋め難い距離を感じざるを得ない女性側の視点が盛り込まれているのを感じ取ることが出来たし、そこには厳しさも込められているように思えた。カミーユの性的に奔放な側面は母を亡くしたことが結びついていたのであろうこと、その母を介護する時に使用していた車椅子を上手く折り畳むことが出来ないでいるというアクションひとつで彼が男性としての性的な主導権を譲る寛容さに欠けていることや母に対しての思いに折り合いをつけられずにいることを端的に示して見せた一連のシークエンスは正直こちらも胸が痛んだ。あと、個人的に面白かったのが、主に前半部分で多く見られるセックスの映し方がすごいAVっぽかったことで、これも後で考えると男性の主観的な側面を反映したものだったのかなと。そういや、「着せ恋」を思い出したのはノラとアンバーがそれぞれの部屋のベッドに横たわりながらモニター越しに談笑しているショットがあったからだったり。
フランス映画ではあるけれど終始早めのテンポ感で物語が進んでいくので、色々とドイヒーなやりとりが多いながらも陽気で軽快な雰囲気がある。友達という関係性がベースにあることで安らぎを得ることが出来るという点において「その道の向こうに」との共通点を見出すことも出来るが、こっちの方が厳しさを感じる。自分が男だからだろうか。エミリーもすごい苦労しているけれど…とりあえず、また「着せ恋」観るか。