「aftersun/アフターサン」鑑賞後メモ

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 家庭用ビデオカメラのテープが巻き戻される音から本編は始まり、やがて粗い解像度の映像が映し出されるとそこには本作の主人公のひとりであるカラム(ポール・メスカル)の姿が見える。そのビデオを撮影していた、当時11歳の少女であったソフィ(フランキー・コリア)は彼に「11歳の頃はなにをしたいと思っていたの?」と尋ねる。するとカラムの表情に陰りが生じ「撮るのをやめてくれ」と急に冷めたトーンの言葉でソフィに語りかける。そこで映像が止まり、その映像をテレビ画面で観ていた30歳のソフィの姿が数秒だけ薄らと反射して見えたかと思うとさらに映像は過去の方まで巻き戻され始める。まるでカラムに対して質問を投げかけた瞬間がひとつのトリガーとなってソフィの古い記憶を一気に呼び覚まし始めたかのような演出となっている。

 粗い解像度の映像=曖昧な記憶を一気に巻き戻し終えると、その過去についての物語はまずトルコのリゾート地へと向かう夜行バスのなかでバスガイドの女性が話している場面から始まる。カラムとソフィは座席に座って彼女の話し方や身振りを冗談めかして笑いながら楽しんでいる。一見些細な瞬間ではあるが、彼らが参加する(おそらくは格安の)ツアーの陳腐さを小馬鹿にしてその大したことなさを笑っているこの場面は、後半のカラオケに関するとある演出が醸すシリアスさとの対比にもなっていることを鑑賞後に気付かされる。

 その後、宿泊先のホテルの部屋にいるふたりが映される。寝室のベッドに仰向けの姿勢でぐっすりと眠っているソフィの横でカラムはベッドの端に腰をかけ電話をかけている。どうやらベッドがひとつしか用意されていなかったことに関してホテルの受付に問い合わせているようだが、強めの言葉で抗議するようなことはせずに渋々とホテル側の緩めの対応を受け入れると電話を切る。その後彼は腰を上げると窓を開けてベランダに出ていき、窓を閉じたことを確認してからタバコを吸い始めるのだが、このとき彼はまるでクラブのフロアで踊っているかのように体をしなやかに揺らしており、カメラはその背中をカットを割らずに長めに捉え続ける。ひとつ透明な壁を隔てたその先で静かに踊っているかのような背中は、カラムという31歳になろうとしている人物が抱える「仄暗さ」を暗示するがこの時点ではまだそれが観客やソフィのなかで鮮明な像を結ぶことはない。

 序盤においてもうひとつ提示される要素として、カラムが右手に巻いている白いギプスの存在がある。どうやら旅行の少し前に手首を骨折してしまったそうなのだが、具体的にどのような出来事があってそうなってしまったのか言及されることはほとんどない。ただ、この白いギプスが存在することによって身体的、物理的な「時間と共に癒えていく傷跡」と物語が進んでいくにつれてより具体性を帯び始めるカラムの精神的、内面的な「時間だけでは癒せない傷跡」というコントラストが鮮やかに浮かび上がる仕組みになっているように思えた。

 他人が内面に抱える痛みを理解することの難しさ(もしくは不可能性)を想起させる演出と対になっているのは今作のタイトルの由来にもなっているであろう、日焼け止めやアフターサンクリーム(日焼け後に肌に塗る薬)をカラムとソフィが互いの体に塗り合うショットだ。真夏の太陽やストロボライトは、カラムにとってこの世界に溢れる「ごく当たり前の日常や風景」といったものがあまりに強い輝きや刺激を伴うものであることを指し示していたのではないだろうかと思える。実際、一家団欒でプールで遊ぶ四人家族や駄々をこねる子供を叱りつける父親、そして遥か遠くの空でパラグライダーに興じる集団からは距離を置くようにしてソフィと過ごすカラムのなぜか少し後ろめたそうな表情は非常に印象的だ。だとすればその「強い光」から体を守るオイルを自分の身近にいる大切なひとのために塗布してあげたりされたりといった行為はやはり相互的なケアという行為を象徴しているのだと思われる。完璧に理解し合うことや傷を癒すことが不可能だとしてもその痛みを少しだけでも共有したり、まだ傷がない箇所が痛みに襲われることを防ぐためにケアしようと努めることは可能なのではないか、という切実なメッセージがここには内包されている。

 ソフィがカラムの内面の傷口に決定的に触れてしまう場面は本編において二箇所存在している。ひとつは先述した「11歳の頃はなにをしたいと思っていたの?」と尋ねた場面で、もうひとつは後半におけるホテルの広いプールサイドで催されるディナーショー的な催しでソフィがカラムをカラオケに誘う場面だ。ソフィはそこで「カラムが好きな曲」であるR.E.M.”Losing My Religion”を歌い始めるのだがカラムは一緒に歌おうとはせずに座席に腰掛けたままでいる。その後カラムは歌い終わったソフィに対して「歌のレッスンに通うのがいいかもしれないな」と冗談を言ったりはするものの少し平静を失いかけているような表情を滲ませ、ソフィも歌おうと誘いをかけたのに断られたことで機嫌を損ねてしまいといった展開があるのだけれど、このときに歌われる”Losing My Religion”のリリックがまさに他人との分かり合えなさやそれによる苦しみを歌ったものになっており、この映画の内容を端的に提示する役割を果たしてもいる。カラムが抱える「傷」に関して具体的な言及がなされることはないが、R.E.Mの楽曲やデヴィッド・ボウイ”Under Pressure”の引用、それから終盤のとある瞬間を捉えたショットがフランク・オーシャン ”Blonde”のジャケット写真と対になるような構図になっていることを踏まえれば、ある程度のことに関しては想像に難くないはずだ。