私の日は遠い #9

 シーラは自由自在に自身の姿を変えることができるが、戦闘には長けていない。暇な時にこっそり忍び込んだ図書館で読んだ生物図鑑でカメレオンの項目を見つけて読んだときは親近感が湧いた。カマキリやバッタも割と近いバイブス持ってるなと感じた。人間は身体を変形させることは出来ないが衣服というものを纏って日々違うフォルムを提示しているようだと、街中をふらつきながらシーラは気づいた。しかし、そんなことはそれほど重要なことではなかった。それよりも、シーラは早くもとの住処に戻りたかった。しかし方法がわからなかった。そもそも、どうしてこの世界に紛れ込んでしまったのかもよくわからなかった。

 人間が住む街には木々が少ないようにシーラには感じられた。それでも、コンクリートアスファルトといった硬質な素材で構築された都市の隙間をひっそりとすり抜けるように水が流れている場所もあり、シーラはその水が流れていく様子を見る度に仲間の存在を思い出した。シーラの住んでいる場所ではみんな基本的に本来の姿である液状のフォルムで生活していたからだ。

 しばらく歩くうちにシーラはきれいな水の流れる広場がある公園にたどり着いた。少し疲れていたので空いていたベンチに腰掛ける。昼間の暑い時間帯で、あまり人気もなかった。

 水辺を眺めながらしばらくぼんやりしていたシーラの視界にふと、一人の女性の姿が入り込んできた。スタスタとシーラのいる水辺の広場まで彼女は歩いてくると、特にためらう様子もないまま水に足を突っ込んだ。彼女の足元で大きな水飛沫が上がった。かなり勢いがあったようで、彼女が着ていたTシャツも少し水に濡れていた。涼しげな空気を纏い始めた彼女の顔は少しだけ微笑んでるようにシーラには見えた。

 呆気に取られたようにその様子を眺めていたシーラの目線が不意に彼女と重なった。私の今の姿とおそらく同じような年齢の人間だろうとシーラは思った。

 「水、めっちゃ気持ちいいよ」

 濡れたブルージーンズと黒いゆったりとしたサイズ感のTシャツを着た彼女が笑いながらシーラに声をかけた。少し舌足らずな発音で、しかしとてもチャーミングな明るい響きを持つその声は透明感のある優しさを纏っているようにシーラには感じられた。

 「私も、綺麗だなと思いながらここで眺めていました」とシーラは返す。

 「ねえ、よかったら一緒にここ入らない?」とその女の子は足元の水辺を指差していた。

 しばらくベンチに座ったままで汗もかいていたので、シーラは自然と履いていたサンダルを脱いで水辺に足を入れていた。強い日差しの中に晒されていたからか、水の中は少しぬるく感じた。

 「真ん中の方まで行ったらもう少し冷たいかもね」

 彼女は中央の噴水を見ていた。まるで小さな間欠泉みたいに天に向かって水が噴き出していた。

 「行ってみようか」

 そういうと急に彼女はシーラの手をとって駆け出した。驚いているシーラをよそに水飛沫をバシャバシャ上げて「ぎゃー」とはしゃぐ彼女は無邪気な魚雷のようだった。一度放たれると止まらずに突き進み続ける大きなエネルギーの塊だった。

 「うーん、思ったより涼しくねえな!」

 降りかかる大量の飛沫を浴びながら彼女は大きな声で言った。間近で見る噴水は鮮やかというよりかはまるで手に負えない暴走機関車のようで音も大きく忙しなかった。

 「でも、今のすごい楽しかったです!」シーラも大きな声で返した。水飛沫のせいでうまく目を開けていられなかったので、彼女の姿がボヤけて見えた。

 「あたしね、アリサって言うんだ。あなたはなんて名前なの?」とアリサ。

 「私の名前は…シーラと言います。少し変わった名前ですよね」とシーラも返す。

 「確かにね。でも、覚えやすくていいじゃん。シーラカンスみたいだし」

 「私もこんな状況で自己紹介をしていただいたのは初めてなので、多分アリサさんのことは忘れないと思います」

 シーラが妙に生真面目な調子でそう話したからか、アリサはふふっと少し笑うと、「こんなびしょ濡れな出会い、なかなかないよね」と言った。

 

 

 

続く