「これは一応あなたのために言っておきますが、質問をされてから顎に手を当てて『うーん』なんて考え込むようでは駄目なのです。印象が良くないものですよ」
男はそういうと狭いテーブルの中央に置かれた胡麻団子を素手で一個鷲掴んで口の中に放り込んだ。彼はもしゃもしゃと咀嚼しながら手についた胡麻の粒をフローリングに払い落とした。
涼は男のそんな様子を向いの席で眺めながら、「アドバイスいただきありがとうございます!」と少し調子はずれなほどに勢いよく返した。
さらに男は続ける。
「いいですか。大体、こんなのよくある質問なわけですよ。それくらいは答えを用意してあって当然なのです」
「はい」と涼は相槌をうつ。店内放送では涼が知らないジャズの楽曲が有線放送で流れていた。というかそもそも、涼はジャズにあまり詳しくはなかった。しかし、誰も大して知らないだろう、ということを前提に垂れ流されているのが有線放送のジャズだろうという認識が彼の中にはあったので、特に気にかかることはなかった。涼にとってそれより気になることがあるとすれば、彼が契約しているストリーミングサービスでは視聴することができない「FARGO」シーズン4が一体どのような内容なのだろうかということくらいであった。それくらいはあらすじか何かをネットで検索すればすぐにでもわかることではあったが、涼はあえてそれをしていなかった。もしかしたらいつか観る機会があるかもしれないと彼は常に考えていたからだ。もう少し時間的に余裕が出てきたら、アマプラも観れるようにすればいい。それが叶った日には、ついでに「THE BOYS」も…
なんてことを頭の中で考えながら適当に男とのやりとりを続けていると、「あ、よかったらどうぞ、いつでも召し上がってください、それ」と涼の席の手前で汗をかいたように結露した水滴を纏ったアイスティーのグラスを男が手で指し示した。
「ああ、どうも」と言いながら涼はそれを一口で半分、というか8割くらいの量をストローでぐいーっと飲んだ。
「ミルクはよかったですか?」と男が言ったので涼はストローに口を咥えたまま首を振った。
ストローから口を離すと、涼は手を上げてウェイターを呼び、生ビールと小籠包を注文した。それを見て男は少し驚いた様子を見せた。
「…あなた、なかなか遠慮のない方ですね」と男は呆れた様子で返したが、涼は先ほどと同じ調子で「ありがとうございます!」と再び元気よく答えた。
その後、男はジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出してしばらくそれを眺めていたので、涼は視線を男の方から雨の街が見える窓に向けた。もう少しで正午になるような時間帯だった。この用が済んだらせっかくなので近くに見えた東京タワーに久々に行ってみようかとも一瞬彼は考えたがそれは諦めることにした。雨がそこそこの勢いで降っているから、面倒臭く感じられたのだった。
「お待たせしました〜」という声とともにウェイターが涼の注文した生ビールと小籠包を運んできた。彼は生ビールのグラスを手で直接受け取るとその勢いのまま一気にグイッと飲み干した。ウェイターはそれを見て面食らったのか、しばらく小籠包を乗せたトレイを持った姿勢のまま静止していた。
「それも、いただいていいですか?」と涼がいうとウェイターも我に帰ったようで、出来立ての小籠包がいくつか入った小さめの蒸篭を涼の手前に置いた。
どうも、とウェイターに軽く礼をいうと、涼は熱々の小籠包のひとつに、さっきまでグラスに浸かっていたストローを突き刺した。男は訳がわからないといった様子でそれを呆然と眺めている。
「本日はお時間いただき、ありがとうございました…」と涼は作り笑いと共に男に言った。しかしその直後に一気に蛇口を捻ったように彼は強い感情を表情の上に解き放ち、「これでもくらえ!」と言いながら小籠包の両サイドを手で全力でプッシュした。それにより圧縮された小籠包から溢れ出たアツアツの肉汁が涼の突き刺したストローを通して、男に目掛けて勢いよく発射された。
「うわ〜!ばかアチい〜!」と男が席の上で悶え始めた。涼はそんな様子にはもう目もくれずに自分のバックパックを片手で掴み出し、「ゴチになります!」と絶叫しながら店を飛び出した。雨の通りを、サラリーマンやOL、制服姿の学生の群れを掻い潜りながら涼はしばらく走った。そんな調子でメトロの駅の入り口までなんとかたどり着く。何故かはわからないが、涼は久々にマクドナルドに寄ってテイクアウトしようかなという気分になり始めていた。
続く