「PLAN 75」鑑賞後メモ

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・冒頭から繰り返し印象的に使われる「ボカし」のショットは、この現代日本で「輪郭」を失いつつある高齢者の存在感を示す演出になっていると同時に、社会問題から目は背けていないフリをしながらもまともに現実を捉えられてはいないこの国の不誠実さを浮き彫りにさせているようにも感じられた。そして、このボカしと対になるような演出として倍賞千恵子演じる角谷ミチと河合優実演じる成宮瑶子がカメラ目線になる瞬間がそれぞれひとつずつある。「私たちには問題や欠陥がはっきりと見えているし、それに対しての感情もちゃんと持ち合わせているのだ」という強い感情を無言で端的に鋭く突き刺してくる。

・テレビや電話、職員などが発する無機質なやわらかい声や口調はこの国独特の不気味さを効果的に表す演出になっていた。なんとなく優しいようでそこには温度感がなく、無表情なやわらかさにゆっくりと圧迫されていくような閉塞感が常にある感覚。これはアヴァンタイトル終わり際の印象的なショットでも表現されている。明るい光に溢れた世界から透明なガラスを一枚隔てた薄暗い部屋が、本編には何度も映される。

・「死に方を自分で選ぶ」という美辞麗句で欠陥を抱えた社会構造が覆い隠されているのではないかと鑑賞しながら考えさせられる。本当に選べるものがあるとすれば、それは「死に方」ではなく「自分の尊厳のために生きる道」なのかもしれないと、美しくも切実で厳しいラストショットから感じた。

・日本のごく日常的な景色の中で物語は展開されているが、主人公がホテルで制服を着て働く様子や自宅で過ごす場面においては繊細なライティングや画面構成によって(たぶん)フランス、広くはヨーロッパ映画的な耽美さが映像から感じられた。これは劇中で何度も描写される「冷たい日本社会」との対比として、自分自身の尊厳を決して損なわずに生きてきた彼女の強さや美しさを視覚的に示すための演出なのではないだろうかと思う。