「TITANE」鑑賞後メモ

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・エロティシズム(「ここにはないもの」を追い求め続ける動力)についての物語。冒頭のエンジンは、たぎる欲望のメタファー。本編は常に緊張状態が続き(いわゆる「出ちゃいそう」な状態がずっと続く)、ようやく最後の場面でホワイトアウト=絶頂を迎える。

 この物語の構造自体が性行為やそれによってオーガズムを迎えるまでの流れを示してもいる。物語の中の人物だけでなく、観ている側も緊張から解き放たれるので共に絶頂を迎えちゃうような感覚があった。

・吐き出す、流血することによって弛緩していく人たちと、食事を摂ったりテープを身体に巻き付けることで溜め込んでいく、またはキツく締め上げていくアレクシアの対比

・他人や自分自身を変形させる、または傷付けることでしか自らが望むものを得たり、状況を作り上げることができない主人公のアレクシア。

 自らの肉体を「変容」させ、アレクシアを通して「愛の続き」を演じることで満たされていくヴァンサン。

・ヴァンサンに初めて優しくされることで(もしくは「愛を演じてもらった」ことで)アレクシアは「愛される」ことを知り、ヴァンサンを「愛する」ことを演じ始める。

 互いに形の違う愛情を持ち寄り、同じカゴに投げ入れていくことで満たし合う「玉入れ」のような関係性がここにはあると思う。というか、コミュニケーションとはそういうものなのではないか。キャッチボールの比喩はこの関係性には合わない気がする。

・肉体ではないものと交わるという行為は、映画を観る観客の意識が作品内の人物のそれと交わる感覚そのものを指してもいるのではないか。多くの人々はこの作品に忘れられない傷をいくつもつけられ、今までとは違う日々を生きていく「新しい生き物」になる。かもしれない。