TENET

マットリーブス版の「THE BATMAN」が公開されるということで、事前にティムバートン版とノーラン三部作を見直した。(要はNetflixで見れるやつだけ見た)

ティムバートンが描き出したのは、「子供時代の幻想やトラウマから抜け出せない大人」としてのバットマンだ。

それに対してノーラン三部作では「落下」と「飛翔」というモチーフを繰り返し用いながら、「正義」でも「悪」でもないグレーな存在としてのバットマンを描いた。

傑作「ダークナイト」では暴力ではなく忍耐によって「悪」を演じることで「正義」の物語を貫き通すというヒーロー論が込められているのが個人的に好きというか、普通にいい話だと思う。

バットマンでなくなるということが主人公にとって最大の勝利となるところも面白い。執事のひと(名前忘れた)との共依存関係から抜け出すことにも成功している。ノーランはとても真面目で丁寧だ。

 

まあ、上記のような感じで自分の中である程度まとめてから新作見た。

その結果、奇妙な事態が起きた。

相対的にノーランの評価が自分の中で高くなった。これは、3時間の上映時間でケツにイボができたせいなのか。わからん。というか、せっかくの新作なのに、込められてる思想的なものはなんか衰退してないか?という印象だった。それでも、前半の方までは結構楽しめたけれど。

 

さて、ノーランの評価が謎に自分の中で上昇した結果、とりあえず「インセプション」あたりから「TENET」まで何作か見直したくなって、見た。そしたら面白かった。

なのでこの後はTENETについてちょっと書いていく。上映が終わってからだいぶ月日も流れ、誰も特に話題にしなくなった今だからこそ自由気ままにダラダラ書ける。やったね。

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TENETについて一言で感想を言うと、

今までのノーラン作品と比べると若干強引だったり粗の目立つところもあるが、すでにいくつかの傑作を作り上げている人が今だにここまで野心的な作品を作り上げていることには驚愕してしまうというか、単純に称賛に値するのではないだろうかと思う。

ノーランはやはりとても真面目なので大事なポイントはちゃんと抑えて、物語の骨格自体は安定させようとはしている。それでも、TENETの場合はそのポイントに持って行くまでの過程にちょっとわかりにくさ、強引さを感じてしまう。これは物語の複雑性を生み出すためなのだろうけれど。

 

どうしてわかりにくさを感じてしまうのか。個人的には3つポイントがあると思う。

まず1つ目は、登場人物の関係性を説明する台詞や演出が本当に必要最低限なところまで絞り込まれていることだ。割とややこしいのに。そしてそのくせ、やたらめんどくさい固有名詞は山ほど出てくる。

そして2つ目は、先ほど挙げたポイントに関するやり取りの合間にさらにややこしい逆行弾やら時間の流れ方の話やらが絡んでくることだ。

さらに3つ目は、上記のややこしい内容に混乱する人間を置き去りにしていく微妙に不親切な物語のテンポだ。主人公たちはやたらと移動しまくるから視覚的にも忙しい。

つまり、「あの人とあの人がこういう関係で〜」と頭で考えているうちにヘンテコな化学の話が始まって「ん〜??」となってるうちに気づいたら登場人物たちは全然違う場所にいる、という。

裏切りのサーカス」とかも初見では結構難しかったりしたが、「TENET」は、なんかやっぱり単に不親切な気もする。まあでも、楽しいからいいか(?)

 

YouTubeなどで化学考証に関する面ばかりが論じられていることも多かったので、この文章を書いている自分自身も最初はそのあたりをやたら考えてしまったのだけど、これまでにノーランがどのような作品を作ってきたのかということを意識しておくだけでも、「TENET」はだいぶわかりやすくなるように思える。(逆行弾とかは、「なんか、カッケーな」くらいに思えばいいのだと思う)

インセプション」からのノーランは、複数の時間軸を並行して描くことに挑戦し続けており、その絡ませ方は作品ごとに変化を続けている。

インセプション」では、時間の流れる速さが異なる3つの夢の階層を平行して描いた。ややこしいけれど「TENET」よりは内容的にも視覚的にもわかりやすいと思われる。

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インターステラー」では惑星ごとに大きく異なる時間の流れ方が描かれる。「インセプション」での方法論を発展させ、さらに物語の内容としては今作から「日常的な愛情」のようなものを含む倫理的な視点が、最終的には異なる思想や対立を超えて人々を救う物語を描いているように思われる。

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ダンケルク」では防波堤(一週間)、民間船(一日)、戦闘機(1時間)とそれぞれにおいて異なる長さの時間を描きながら最終的にそれがひとつの点で交わり合うという挑戦的な試みが見られた。

セリフは少なめでストーリー自体はシンプルであるが、地球上で見られるものでおそらく一番デカいものであろう海と空が常にどデカく映されているのが綺麗。

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さて、この流れを踏まえて「TENET」を見ると、この作品は面白い。

今まで異なる時間の流れを「平行」して描いてきたノーランが、今作では「順行」と「逆行」を同時に描いた。

2つの異なる時間の流れが「平行」しているのではなく、「同居」している。明らかに今作でさらに時間を操作するという点において一線を越えているように思われる。

これは要するに、化学考証云々よりもまずはそのルックの大胆さを素直に楽しんで欲しいということではないだろうか。

インセプション」から続いた複数の時間の操作、そして「ダンケルク」からのIMAXカメラを最大限に活かして迫力のある画を捉えるという2つの挑戦がこの作品で結実したのだ。

 

ロシアによるウクライナ侵攻が進んでしまっているこのタイミングで改めて「TENET」を見直すと、(これは映画・音楽ジャーナリストの宇野維正氏が同じような内容をすでにTwitter上で発言されていたけれど)セイターというキャラクターの思想や目的、また彼の末路が非常に切実なものを孕んでいるように思われてしまう。

エントロピーを減少させることで世界全体の時間を逆行させる」という試みはつまり、世界大戦が繰り広げられてしまった20世紀前半、中盤にまで再び思想や行動が衰退してしまうことの比喩なのではないかと捉えることも出来てしまう。そしてまさに今それは起こってしまっている。残念ながら。

 

今まさに不安定な状態にある現代において大切なのは、この世界で「役割」を演じ続けることなのかもしれない。

ニールのようには時間を行き来することや勇気ある行動を起こすことはなかなか難しいことかもしれない。だが、大事なのは大袈裟なことばかりではない。そのことをノーランは「インターステラー」からずっと語り続けている。

「愛情を数値化する」というアクションを彼はモールス信号で表現した。そして紡ぎ出された言葉は「STAY」だった。

「ここではないどこか」はおそらくない。それでも、この世界で出来ることが、変えられることはまだあるかもしれない。たとえ愚かでグレーな存在であっても、我々は「這い上がる」ために生きているのだから。

日常を丁寧に演じ続けること。それが「飛翔」への最も身近な一歩なのだと、今は信じてみたい。