「ZOLA」鑑賞後メモ

youtu.be

 「周りが勝手に動いているだけなんだ」というフレーズが語られるのは今年の5月に劇場公開されていた佐向大監督の「夜を走る」という作品においてだったが、「ZOLA」におけるゾラはどうだったろう?彼女もまた、そんなフィーリングを常に抱え続けながら終わらないBADな「トリップ」に巻き込まれ続けていたのではないだろうか。今作の映像が60年代的な質感でまとめ上げられているのは「トリップ」を描いた映画の系譜に連なるものであるからなのだろうけれど、そういったジャンルにおける過去の作品群と違っている点はゾラがかなり早い時点から常に冷め切っていたということだ。

 周りはやたらと煌びやかで騒がしい音に塗れているけれど、それらの何ひとつとして自分自身の興味関心には訴えてこないし、むしろ露悪的なムードすらそこに感じてしまう。Mica Leviによる劇伴がこの感覚に見事にフィットしていく。魅惑的かつ悪夢的、セクシーだけどグロテスクな数日間がゾラの周りを勝手に駆け抜けていく。ただひとつの始まりかけた友情を信じていたかっただけなのに。

 作品内で巻き起こる事態に対してゾラが常に受け身の状態でいることしか許されないのを見ている内に、宇野維正氏による「NOPE」評の内容を思い出した。

youtu.be

主に北米におけるアフロ・アメリカンの人々が置かれる抑圧的な環境やそれに起因する不快感、孤独感がまさに「NOPE」の主人公であるOJの姿と重なる。しかも、「ZOLA」においては大きなカタルシスが訪れることもないのだ。ただひたすら、過激になっていくだけ。ある意味今作で最も衝撃的な、ぶん投げるような幕引きにはそういった社会の構造に対する批評的な視点が込められているはずだ。

 今作のアヴァンタイトルは顔にメイクを施すゾラとステファニの姿が無数の鏡に反射していくつもの像を映し出していく幻惑的なショットから始まるが、これは要するに人間は他人に関してほんのひとつの側面をあてにすることしかできないということを表していたのではないかと考えている。ポスターアートにおいても、作品を鑑賞する前にはふたりがまるで鏡像関係にあるかのような印象を覚えていたが、これもよく考えてみるとふたりとも横顔しか映されていないわけで、つまりはゾラのように我々もまた「トラップ」にかけられるような構造になっているのだろう。

 かなり変わった映画だ。それでも、日常生活においてしばしば感じるこの世界の騒がしさに対しての虚無感、冷めた感覚をきちんとキャプチャーすることに成功しているという点においてこの作品はとても魅力的だと個人的に思う。「これは、私の」感覚だと思わずにはいられなかった。

「NOPE」鑑賞後メモ

youtu.be

 「失ったものを再びこの手に取り戻す」という物語の軸になっているプロットや、広大なアメリカの荒野の景色とその大地を駆け抜けていく馬といったような西部劇的なモチーフがメインになっているのは、IMAXカメラによってスペクタクルな映像を作り出すために必要な要素であり、コロナ禍以降の劇場公開作品が向き合っている現状に対する姿勢の表明でもあるのだろうけれど、それらと同時に怒りやヒロイズムといった感情に対して新たな切り口を提示していくことで、この作品は西部劇(というかSFもしくはホラー)というフォーマットの精神性を更新することを試みてもいる。

 アヴァンタイトルで描かれる猿のゴーディに関するエピソードは、怒りや恐怖に対して動物的ないし直線的に感情をぶつけてしまった者の末路を描くためのものだろう。おそらく「彼」は自らの孤独を共有できる存在が周りにいなかったために、感情の暗い部分と「目を合わせ」てしまったのではないだろうか。これは同時に今までジョーダン・ピールが描いてきたような、北米におけるアフロ・アメリカンの人々が搾取される構造を端的に示してもいるだろう。ある意味「ゲット・アウト」と同じ怒りの爆発のアナロジーでもある。他にもいくつかの場面において、特に序盤は映画やその業界、または社会そのものの構造に対しての言及を表すショットが多いようにも感じられた。

 血みどろで悲劇的な末路を辿るゴーディと対になる存在としてOJ・ヘイウッド(ダニエル・カルーヤ)がおり、彼はとにかくどんな時でもクールさを保とうと努める。冷静にその場の状況を把握し、必要以上に人と目を合わさないような素振りを見せる。物語の後半で、エメラルド(キキ・パーマー)とエンジェル(ブランドン・ペレア)に対して早く車に乗り込むよう急かす場面においての演出がとても印象的だった。この場面でも描かれるように、OJにとっての戦いはいかに「それ」と直接目を合わさずに冷静でいるかということに終始する。圧倒的な力で敵を倒すようなことなどはしない。そういった旧来の男性的なポジションを担うのは、女性のエメラルドだ。ちなみに、彼女が終盤でバイクを乗りこなした後のとあるわかりやすい演出は、個人的にはいい意味ですごいくだらなくて笑えた。ここでこれカマすのかよ、みたいな。

 また、「それ」のフォルムがなんとなくカウボーイハットっぽかったり、OJが「Gジャン」と呼称を定めたりしているのからして、おそらく怒りや恐怖だけではなくヒロイズムを象徴する装置としても機能しているのではないかなと個人的に思った。そう考えることで、何人かの人物が辿る末路も納得しやすい。

 OJが上述したような旧来の男性的ヒロイズムに「吸収」されることなくクールさを保つことができたのは、「最悪の奇跡」の後に亡き人となってしまった父親と共に続けてきた馬の調教という仕事に誇りを持っていたからであろうし、それがなにより彼のパーソナリティを形作るものであったからだろう。だからこそ巨大な未知の「恐怖」に対して攻撃的な手段ではなく、特性を理解して上手く誘導する、なんならちゃっかりお金も稼いでしまおうという方向性で仲間たちと協力して行動を起こすことができたのだろうし、何よりもOJが常に離ればなれになってしまった馬たちをどうにかして取り戻したいと考え続けていることは彼のセリフの断片から垣間見えるようにもなっている。

 映画史の原点として作品の序盤に語られる「動く馬」に対してのアンサーとも捉えられる、本編の終わり際で馬に跨るOJの静的な佇まいは新たな「ヒロイズム」の形を提示している。

 「それ」と目を合わせてはならないし、完全に掌握しようとしてはいけない。なぜならそれは我々には理解しえない領域に息づいているものだから。”NOPE”=「知らん」とOJはシラを切ってみせる。だがしかし、エメラルドに対して彼は決して目を逸らさない。奇跡と対極の日常における愛情が存在していたことを確信する目線のやりとり、それはもはや奇跡。

「セイント・フランシス」鑑賞後メモ

youtu.be

 本編の冒頭で自殺の話をする男とラストでドアを開けるフランシスの姿は対になっており、その両極の間で主人公のブリジットは常に揺れている。死と生、ノスタルジーと前進の間を泣きながら笑って生きる。その姿が現代の家父長制的なシステムの中でタフに生き抜く女性たちに重ねて描かれる。男には知り得ない痛みと孤独がここにはあり、「ここまでやってあげたのだからいいだろう」という境界はただの都合のよい幻であることを緩やかに、しかし鋭く突きつける。

 序盤からこれでもかというほどに「血」が映される。基本的にはインディ映画的なゆったりとしたトーンやマナーで物語が進行していくが、かなり直接的、具体的に問題提起がなされてもいる。笑える場面が多いけれどそこには痛みが確かにある。繰り返し描かれるブリジットが個室トイレに座っている姿は、(この文章を書いているひとりの男にはどうしたって知り得ないし、想像し続けることしかできないであろう)孤独を象徴的に表している。

 育児をする女性たちも当たり前のように個人的な感情を抱えている。それを吐き出したり共有することを難しくしているのは、社会が押し付ける母親像や女性像というものがあまりに高潔なものであるということに一因があるのは間違いないだろう。そのイメージを喚起し続けているのはやはり家父長的な性質を持つこの世界の構造だろう。

 疲れたり頭にきたりするのは当然であるし、「過ち」を抱えているのは人間の特徴のひとつであるはずだ。だからこそブリジットが奮闘する姿やフランシスの自由気ままな振る舞いにはチャーミングさがあるのだし、その点は大人も子供もきっと同じはずだろう。

 この世界にはまだ「解決」がない。ブリジットのように揺れ動き続け、戸惑っている人々が数えきれないほど存在している。そこには一般的に「過ち」と見做される振る舞いもあるかもしれない。だがその根底にはそもそも歪みきった社会の構造があるわけで。だからこそ、そんな時にせめてもの社会への反抗として「過ち」に手を差し伸べることが出来ればそれは素敵なことなのかもしれない。なんなら自己紹介付きで。

私の日は遠い #8

 達夫は遠方に暮れていた。大倉から特殊な力を授けてもらったにも関わらず、目の前に広がる景色に大して何も思考が追いつかなかった。

 「どうですかな、この場所は?気に入りましたか?」

 そう達夫に尋ねる男は顔に微笑みを浮かべながら彼の隣に並んで立っていた。男が来ている服や部屋の家具と調度品、そして窓の外に広がる緑豊かな牧場や畑など、隅々まで中世ヨーロッパ風のルックにまとめられていた。

 「まあ、戸惑われるのも無理はないですね。どうぞ、そちらにお掛けになって下さい」

 達夫はとりあえず男が手で指し示した長方形の大きなテーブルの端の方に歩いていく。部屋に常駐していたメイドのひとりが椅子を引いてくれた。常に薄い笑みを浮かべているが、その表情に温度感はなかった。

 達夫が椅子に腰掛けると同時に別のメイドがシャンパンの入ったグラスを持ってきた。男も向かいの席に腰を下ろした。

 達夫はシャンパンを一口飲んで口を湿らしてから話し始めた。

 「とりあえず、気になることは山ほどあるな。お前は…」

 「あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。わたくし、オグレと申します。どうぞよろしく」オグレはそう言うと片手でグラスを軽く上に持ち上げながら笑みを浮かべた。達夫の中でこれは腑に落ちない状況だった。微笑み返す気にはなれなかった。

 「…お前はこの世界の主かなにかなのか?」と達夫はオグレに尋ねた。

 「うーん、まあ、そうとも言えなくはないですが。こちらの事情も色々複雑でしてね。それに関してはまた後日、詳しくお話ししますよ」

 オグレの話し方は少し独特で、トーン自体は優しいがそれでもなにか透明な膜で言葉が覆われているような、直接手に触れさせようとはしない距離感があった。

 「これ以上に混み入ったことがあるもんかね」達夫はそう言いながら窓の外の景色を見やる。

 「だいたい皆さん同じような反応をされますよ。とは言っても、これは別に私が望んでそうなったわけでもないのです。今いるこの屋敷も着ている服も酒も何もかも、むしろあなたたち現実界の方が関与されている部分が多かったりします」

 達夫は思わず首を傾げた。

 「それはどういうことだ?」

 「いや、失礼。何を言ってもなかなか素直に受け入れられないことの方が多いことでしょう」

 オグレはふふふと小さく笑いながら酒をひと口飲んだ。

 「さて、そしたらひとつご提案があるのですが」とオグレが口元をナプキンで拭いながら言った。

 「…なんだ、言ってみろ」

 達夫は少し苛立ち始めた。ここは何もかもヘンテコな場所だった。

 「しばらくこちらで過ごされるのはいかがでしょうか。もちろんお部屋やお食事など、必要なものはこちらでご用意いたします」

 まるで温度感も距離感も掴めないオグレの微笑みには不思議な引力のようなものがあって、達夫は後戻りが効かないような不安を少し感じた。

 「なんでそんなことする必要があるんだ?」達夫はオグレに聞き返した。

 「せっかくのお客様ですから、この土地について詳しく知っていただきたいという思いがあります。余計なお世話かもしれませんが」とオグレ。

 「いや、マジでその通りだよ。今日ってたしか金曜日だろ?ラピュタやるんだって、テレビで」達夫は少し苛立ちを表に出した。

 「おやおや、それはたしかに大事な予定ですね。でもご安心ください、ちゃんとそちらの放送も受信できるテレビがございますので」

 えっ、そうなの?と達夫は思わず心が揺らぎそうになったが、すぐに冷静になった。こんなわけのわからない場所で平穏に過ごせるものか?辰夫の勘ぐりはますます加速した。

 「…とりあえず気になるのは、俺の身の安全だ。お前ら、俺が油断した瞬間になにかしでかしたりしないだろうな?」

 テーブルの上で無意識に握り拳をつくりながら達夫は聞いた。

 「どうしてそのようなことをする必要があるのでしょう?あなた様は大事なお客様です。むしろこちらとしては責任を持って快適なお時間を提供できるよう勤めるつもりでおりますよ」

 何を聞かれてもオグレのやんわりとした社交的な笑みが崩れることはなかった。達夫は力めば力むほど、そのエネルギーが空回りしてオグレの懐にすっぽりと収まっていってしまうような感覚を覚えて情けない気持ちになってきた。

 「…そうか、じゃあ、しばらくここで過ごすことにするよ。どうせ俺も今じゃまともな人間ではないしな」

 「こちらとしては嬉しい限りです」

 オグレは再びグラスを少し持ち上げて達夫のほうを見つめた。達夫も渋々グラスを宙に掲げた。天井のシャンデリアの光が反射して、それに少し目が眩んだ。

 

 

 

続く

YC2.5/Kamui

open.spotify.com

 解けては結ばれ、やがてまた解けていく。再び巡り合う喜びと離ればなれになる悲しみのサイクル。テッド・チャンの「息吹」も同じような構造を持つSF小説ではあったが、Kamuiの「YC2.5」はサイバーパンクアルバムだ。

 発展した技術と引き換えに生まれた極端な格差社会やそれに伴う治安の悪化、そして情報過多なメディアと電子広告の洪水に人々が飲み込まれていく退廃的な未来のヴィジョン、それがサイバーパンクだと個人的に考えている(未来というか、もはや現代の話と言ってもいいだろう)。

 なぜラッパーであるKamuiがサイバーパンクという言葉にこだわるのか。おそらく彼にとってそれは必要な表現形態であるからだろうと思われる。

「ヤンデルシティ」という架空のディストピアが現代の東京と重なるように描かれているので単純に現代社会批評のような視点で読み解くこともできるとは思うが、さらにこれはKamuiの精神構造のメタファーとして見ることも出来るので実は二重、三重にレイヤーがあるのは何度か聴いていくうちに気づくことができる。

 Kamuiは街であり、人である。もちろんこの作品を聴く我々も人であるから、自分自身の存在もここに重ねることができる。「ヤンデルシティ」はどうやら他人事ではないらしい。

 

 kamui x u..名義で2016年にリリースされた「Yandel City」のサウンドやリリックが描き出しているのは主に街の情景であったと思う。

Yandel City

Yandel City

  • kamui x u..
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥1833

music.apple.com

 建築物や街の雑踏、さらにはニオイまで感じ取れそうな生々しさがそこにはあった。どうしようもなく鬱屈した空間が茫漠と広がるのをただ眺めているしかないような感覚が詰め込まれているようでもあった。

 しかし続編である今回の「YC2.5」でフォーカスされるのはその街で暮らす住民たちのキャラクターや心情だ。それは前作とは打って変わって色とりどりな印象を我々に与えてくれるし、サイバーパンク的な都市の景観ともリンクする。

 これはKamuiの感情の揺れ動きやその振れ幅を最大限にまで引き伸ばして表現するための仕掛けであるのだと思う。ビートのバリエーションやリリックの語り手のテンションは様々で、ラップだけではなく歌うことも多い。いくつもの表情がそこにはある。

 「login」することで後戻りが効かなくなり、「Tesla X」をtakeすることで感情が「レッドゾーン」まで振り切り、壊れ、分裂していく。そんな状態の中でかつて自分自身の中に息づいていたピュアネスの象徴としてのsuimeeと再び巡り合う。

 「死神は懐かしい友人の顔をしている」というような言い回しを誰かの作品で見かけた記憶があるが、まさしくsuimeeとの巡り合いは喜びであると同時に死の匂いも漂わせている。しかし、何はともあれ後戻りは出来ない。

youtu.be

 「Runtime Error」によるアルバムの幕開けや「YCB2」の情報過多なリリックなどにも顕著ではあるが、「ヤンデルシティ」に「身を沈め」ていくような感覚をこの作品を通して味わうことが出来る。

 荘子itとの対談においても、「侵入する側や打ち込む側にもビビりとかがある。でも、とにかくぶち込まないといけない」というフレーズが飛び出してくるのだが、これはKamuiの特に今作における最も重要な姿勢のひとつであるのは間違いないと思われる。

fnmnl.tv

 そう、Kamuiは怯えてもいるのだ。「Tesla X」において最高のブチギレ方をしている彼の裏には「i have」で聴けるような繊細さがある。一見タフな人が自身の繊細さを表現するような作品自体はいくつもあると思うのだけれど、Kamuiの場合のそれは振れ幅があまりにも極端すぎてファッショナブルな域を飛び越えてしまっていると個人的に思っている。まるで若き日のトレント・レズナーをも思わせるような、ちょっと不安になるくらいの脆さをKamuiはときに醸し出している。(今作のジャケット写真は彼のそのバランスをとても上手にキャプチャーできていると思う)

 それでも、その脆さを真正面から見つめるように、Kamuiは彼自身の心のいちばん深いところまで潜っていく。そうすることで彼は作品を生み出しているということなのではないだろうか。

 ビビりながらも「MOTHER DEEPER」に「打ち込む」ことで彼は「疾風」になれる。

youtu.be

 

 「YC2.5」を通して聴いていくと最後に「Hello, can you hear me」が聴けるのだけれど、この流れで聴いているとKamuiは「大丈夫」になれたようで相変わらずすぐに壊れてしまいそうな不安定さを抱えてもいる。もしかしたらそもそも彼だけではなく我々もこの先たいして変わることなど出来ないのかもしれない。だからいつかは再びあの街、そう、「ヤンデルシティ」に身を沈めることになるのだろう。すでに何もかも退廃しきっている。だから「サイバー」ではなく「サイバーパンク」なのだ。

 けれどもその繰り返しの中でおそらく数多くの出会いがあって、それは新たな視点や思考を我々に少しずつもたらしてくれるはずだ。

 かつて大事にしていた記憶や感情は、その街で少し俯きながら、今日も静かに誰かを待ち続けている。この場所に思い入れは、あるか?

 

※Kamuiの前作「YC2」までの軌跡を個人的にまとめた記事もあるので、もしよければ読んでいただけると嬉しいです。

hitoshikrt.hatenablog.com

私の日は遠い #7

 昨日の深夜、渋谷で大規模なテロがあったらしい。

 ニュースでも大々的に取り上げられていた。しかし、夏樹はそんなことには全く気づいていなかった。たまたまめんどくさくてテレビをつけずに音楽を聴きながらダラダラと過ごしていたし、SNSを覗くこともなかったからだ。

 それよりも夏樹の心の多くを占めているものがあった。ロッカーでの隼人とのやりとりである。なんでか知らないがあれから一週間くらい経ってもまだ反芻していた。夏休みで友達に会うことも大してないからか、やたらと印象深く胸に刻まれてしまっていた。

 「うーん…悪くねえな」

 そんなことを思いながらベランダで晴れた昼前の風を浴びてバニラアイスを頬張っていると、iPhoneに着信が来てブルブルと振動する音が聞こえた。

 それは隼人からのメッセージだった。

 「異世界に繋がってる時空のひび割れが渋谷にあるらしい」そう書いてあった。

 ひどい夏バテみてえだな、と夏樹は呟いた。あいつは野球部だけど、それでも所詮は人間だからな。

 「蛇口をひねると冷たい水が出るの知ってるだろ?まずはそれで頭を冷やしな」夏樹はケータイに文字を打ち込み、さっさと送信した。

 

 夏樹は隼人としばらくやりとりするうちに渋谷でなにが起きたのかをなんとなく理解した。最初は嘘だと思ったがテレビや新聞、SNSにバカみたいに映像や画像が溢れていた。

 こんなことが起こるような国だったっけ?いつの間にMADになってしまったものだな、と夏樹はため息をついた。そして冷蔵庫を開けるとコーラのボトルを取り出してコップに注いだ。

 「それで、あんたはそんな現場にわざわざ行こうっての?そんな暇あったらバットの素振りでもしてなさいよ」

 夏樹はコーラを喉に流し込みながらケータイを操作した。コップを傾けると氷同士がぶつかる涼しい音がした。

 「なかなかキツいとこ突いてくるじゃないか。でもよ、そういうお前こそ、なんか楽しい夏の予定はあるのかよ?」と隼人が返してきた。

 「ふん、『夏の楽しい予定』なんて概念はただの幻だよ。ディズニーランドのミッキーだって、瞬きしないだろ?そもそも最初からデタラメなんだよ」

 「いきなり虚無主義に走るのかお前は。まだ10代なんだから少しくらいは自らの情熱に薪をくべてやれよ」

 「私は焚き火じゃないんだよ。こんなクソ暑い季節にはむしろイルカにでもなりたいね」

 「イルカか。そしたら、水族館でも行くか?」夏樹の視線と指がここで止まる。うん、悪くねえな。

 「それ、アリ」と夏樹は返信する。

 しばらく待っても返事が来る様子がなかったので、夏樹はテレビをつけた。午後のワイドショーが放映されているのをぼーっと眺める。やはり昨夜の渋谷でのテロ事件が取り上げられていて、ああだこうだと話し合いが行われていた。規模が大きく同時多発的なものであったのでおそらく複数の人間によって引き起こされたものであると思われるものの、容疑者の目処が何故か全く経っていないことをコメンテーターの大学教授が不思議そうに話していた。現在の渋谷の様子を確認してみましょうと進行役の人間が言うと映像がパッと切り替わる。人や車はすでにいつもと変わらない様子で大量に行き交っていたが、QFRONTがボロボロになっているようだった。巨大なモニターだった部分には応急処置のように大きなシートが被せられていた。

 スタジオの誰もが腑に落ちていないような表情で深刻なムードを醸し出していたので夏樹は気分が滅入りそうになり、別のチャンネルに切り替えた。知らない韓国ドラマが放映されていたが、画面脇にはニュースを表示するためのバーが常に出ていた。ドラマの女性たち、みんな顔面強すぎるなとぼんやり考えていると隼人から返信がきた。

 「いや、でも異世界に行けるチャンスは今しかないかもしれん。ということはこれは一択なのでは?水族館はいつでも行けるぞ!」と謎に自信に満ち溢れた内容だった。

 「お前なあ、ラッコはもう日本に一匹しかいねえんだぞ?持続可能性なんて言葉も今では儚いものなのさ」と夏樹は返した。

 「俺の異世界への興味は止まらねえよ。持続するかどうかが問題じゃない。今俺の中で燃え上がってる炎があるんだよってハナシだ。俺は今を生きている」

 「早くシケてくれることを祈るよ。私からしたらこの世界とっくにヘンテコなものだし」

 「俺は今感じているエネルギーを新しい何かに昇華させたい。俺はおまえと点じゃなくて線を描きたいんだよ」

 「急にすげえ方向にハンドル切れる腕力は大したものだな」と返信したところで夏樹も少しめんどくさくなってきた。隼人を渋谷に召喚させようとする謎の引力が存在しているみたいで、それは私の手には負えない獰猛な「何か」なのだろうなとテキトーに考えながらグラスの中に残っていた氷を噛み砕いた。

 

 

 

続く

私の日は遠い #6

 夏の夜空が深く街を飲み込んでいこうとしていた。真夜中の匂いが何人かの人間を追憶の彼方に突き放し、かと思えばうだるような暑さに目を覚ます人間もいた。

 そんなボヤけた時間軸の中で、銀の翼をはためかせて夜空を舞う何かがいた。それは達夫だった。かつて達夫だった何かだ。猛スピードであてもなく、「とりあえず都心の方に行こうかな」という軽い気落ちで飛んでいた。

 「そっちの方はどうだ」

 地上にいる大倉が連絡を寄越してきた。

 「いや、特に何も」と達夫は返す。

 大倉の方も特に何もないみたいで、渋谷のセンター街のマクドナルドでコーヒーを飲んでいるらしかった。

 「そんなもの飲んでもなんの意味もないぞ」と達夫は抑揚のない声でいった。

 「なんの意味もないなんてことあるか」と大倉も特に表情のない声色だった。

 あるよ。そういうと達夫はゆっくりと降下し始めた。

 

 大倉によると、数時間前から渋谷のスクランブル交差点に面したいくつかのモニターが不具合を起こして映像が流れなくなってしまっているようだった。原因は不明らしく、特に復旧の目処もなかった。

 「まあでも、あんなの見たいやつなんていないだろ。むしろ静かになって気分がいいような気もするよ」

 安コーヒーを飲んでくつろいでいる大倉の声は落ち着いていて、穏やかな響きすら感じられた。達夫は数週間前に彼から授かった「あるモノ」のことを思うと、なんだか妙な気持ちになった。

 「この調子じゃ、今夜も特に何も起こりそうにないな」と達夫。

 「そうだな、落ち着き過ぎてる」

 大倉がそう返していたところに、突如外から爆発音のような大きな音がした。

 

 大倉がいる渋谷の方から煙が上がっているのを確認した達夫は、その方面に向かって降下を続けていた。

 「油断するとすぐこういうことが起こる」とひとり呟いた。

 「ツイてるのかそうでないのかわからないね。ちなみに今朝の星座占いは一位だったよ」と大倉は変わらず呑気な調子だった。

 「それはある種の罠ですね。足元を掬われます」と達夫。

 「そうか。じゃあ、俺もお前みたいに空を飛ぶとするよ、これからは」

 大倉はセブンスターを口に咥えて火をつけた。モニター部分が破壊されて穴が開いているQFRONTを眺めながら、煙を吐いた。そのそばをひっきりなしに大量の人間が逃げ惑っていた。

 一体誰がこんなことを?と考えていると、今度は109の方から大きな音がした。その方向に目線を向けると、妙な人影がひとつあるのを彼は見つけた。慌てて逃げているようには見えず、むしろ落ち着いてゆったりとした調子で車道のど真ん中を歩いており、そのシルエットは異様な雰囲気を纏っていた。

 「達夫、俺は先に一仕事してくるとするよ。慌てず来てくれればいいさ」

 そういうと大倉はショットガンに球を装填しながら、不審な影の方に向かって人混みを避けながら歩き始めた。影は相変わらず同じ調子でスクランブル交差点方面に向かって歩き続けていた。

 大倉は目を凝らす。そして目視出来たものに少し驚いた。影のベールに包まれていたのは、ごく一般的な40代前後と思しき容姿の女性だった。グレネードランチャーらしきものを手に構えたその女性は、うっすら微笑んでいるようにすら見えた。

 

 

 

続く